フルーツバスケット(改訂版)

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「いってらっしゃい」
「……行ってきます」
 藤谷真琴は元気のない声で玄関に向かった。
「……はぁ」
 玄関には大きな等身大の鏡があった。
 おそらくは家の住人が外に出る直前に自分の姿を確認できるようにとのつもりで設置したのだろうが、彼女にとっては嫌がらせ以外の何にも感じられなかった。
 ピンク色のワンピースと白いエプロンのようなものが一体になった服を来た少女が可愛らしい顔を曇らせている。
「真琴、まだいたの?」
「行ってきます」
 真琴は下駄箱の上に置いていた赤いランドセルを背中に背負うと勢いよく家を飛び出した。
「本当に……元には――戻れるわけがないか」
 玄関を出たところで真琴は今出た家を見上げた。
 大きく立派な屋根に真新しい壁の塗装。家が立派に見えるのは小さくなったからではないだろう。
「元に戻るのは無理でも、せめて男子には――はぁ。くそ、あれさえなければ……」
 藤谷真琴は大きな溜息をつくと学校に向かって歩き出した。
――藤谷真琴。いや、藤谷誠は昨日の今頃は正真正銘の高校男児だったのだ。それが何の因果か、赤いランドセルを背負い、可愛らしい衣服に身を包んで小学校に通うことになってしまっている。
「本当に、なんであのときにもっと真剣に考えなかったんだろう。だけど、今日一日がんばれば――」
 毎日放課後には各学年ごとに一度だけ"あのゲーム"ができる。今日の放課後に頑張れば元通りは無理でも高校男児に戻れるかもしれない。
「失敗しないように、ルールを確認しないとな。だけど、本当に……はぁ」
 すべての始まりは、先週の初めに遡る。それはよく晴れた初夏の月曜日の放課後のことだった。


「こんにちは」
 午後の授業が終わり、藤谷誠は通いなれた空き教室に足を運んだ。
「……何をしているんですか?」
「見ればわかるだろ」
 見ている限りは洋裁をしているようにしか見えない。しかもパッと見には女物のように見える。
「それ、自分出来るつもりなんですか、部長」
「そんなわけないだろ。新谷さんに着てもらうのだ」
 谷山信夫は胸を張った。藤谷は大きな溜息をつくと部屋の中を見渡す。
「その新谷先輩はどこに?」
「知らん。まぁ、いつものところだろ」
 それを聞いて藤谷は再び大きな溜息をついた。あの先輩は生真面目で一番同好会の活動に熱心だけど、ただ一つだけ欠点がある。それは……
「な、なんだ!?」
 突然、部屋の中にけたたましいベルの音が鳴り響いた。続いて放送が流れる。
「……裏庭で火災って――」
「新谷さんだろうな。間違いなく」
 藤谷と新谷は大きな溜息をつくと教室を後にした。

「それで、何か言うことは?」
「すみません」
 あの火事騒動から二日が過ぎた。
「だけど、お腹がすいていたのです」
「それなら、コンビニで買えばいいだろ」
「お金がないのです」
「あの、それだったら家庭科室を借りればよかったと思うのですが」
「外で食べた方がおいしいと思わない?」
 それならそれで、作ってから持って行けばいいと思う。
「まぁ、やっちまったもんは仕方ない。幸い、次の金曜日の放課後に付属小学校の遊びの会を手伝えば股教室が使えるしな」
「これからは火器は厳禁ですよ」
「――分かった」
 新谷小瑠璃は見るからにしょぼんとなった。
「本当に、これさえなければいい先輩なのに」
「まぁ、そう言うな。お互いテストのときは助けられているだろ」
 頭がよく、教えるのもうまい。生徒会に提出する活動報告書もすべてしてくれている。たけど、ただ一点……食い意地がすごくはっている。
「まぁ、ひとまずこれくらいにして今日は解散だ。金曜日、遅れるなよ」
「分かりました」
 三人は会議を終えると、それぞれ帰路に着くのだった。

「よー遅かったな」
「集合時間前だけど、遅いわよ」
 誠が集合場所についたのは約束の時間の15分前だった。だけどなぜか先輩二人はすでにいた。
「珍しいですね。先輩方がこんなに早くいるの」
「そんなことないだろ。なんとっても今日はフルーツバスケットができるのだ。嫌でも早く来る」
「そうよ」
 誠は頭を抱えた。高校生にもなって子どもの遊びをこれほど楽しみにするなんて少しだけ心配になる半面、ちょっとうらやましい。
「本当に、今回は運がいい。早く行って準備をするぞ」
「ちょっと待ってくださいよ!」
 速足で歩く二人の先輩を走って追いかけると、誠は二人の後ろを同じように速足で歩いた。
「へー、ここが中等部か」
「そんなに、珍しいものではないだろ」
「えぇ、まぁ。そうだけど……」
 初等部・中等部・高等部が渡り廊下でひとつながりになっている学校など珍しすぎる。
 中等部の校舎にいる中学生たちが物珍しそうに三人を見ている。
 信夫と小瑠璃はそんなことなど気にせず、フルーツバスケットでどのような事を言うなどと意味の分からない事を楽しそうに話している。正直、恥ずかしい。
「誠、さっきからなんでそんなに挙動不審なんだ?」
「言動不審な先輩に言われたくないですよ」
「部長、誠君は外部生だから、たぶんつながっているのが珍しいのよ」
「そうだったのか」
「はい。もしかして、先輩達が言っているフルーツバスケットって普通のとは違うんですか?」
「それも知らないの!?」
「この界隈じゃ有名な話だぞ――この学園初等部最大のウリだぞ」
「えっと……越境入学で、寮に住んでいるんですよ」
「そうだったのか……新谷、説明してやれ」
「仕方ないわね。フルーツバスケットの中に"なんでもバスケット"ってルールがあるの知ってる?」
「それくらいは」
「これからするフルーツバスケットは、基本的にはなんでもバスケットと同じよ」
「はぁ」
「だけど、ここからが重要よ。普通なら該当者がいないことを鬼が言ったり、該当しないのに立つと注意されるだけでしょ?」
「あとはたまに野次が飛びますね」
「そうね。だけど、これからするフルーツバスケットではここが違うの。いい、重要だからよく聞いてね。該当しないことを鬼が言うと、鬼自身がその姿に変わるの」
「……?」
「えっと、分からなかった?」
「意味が分かりません。鬼自身がそうなるっていったい」
「たとえばね――部長が鬼だとして、"お姫様のコスプレをした女の子"って言ったとするわね」
「はい」
「普通、教室にそんな子いるかしら?」
「いません」
「そう、だからこの場合は部長自身が"お姫様のコスプレをした女の子"になっちゃうのよ」
「先輩、部長は男ですよ。女装はできても性別は」
「だから、変わるのよ。性別も。ついでに言うと年齢も身長もスタイルも性格もなんでも変えられるわよ」
「本当ですか?」
「信じられない?」
「当たり前です」
「そう。まぁ、実際に経験したら分かると思うから残りのルールも説明するわね。該当しないのに立った場合は、立った人が変わる。該当しないのに立たなかった場合はそれを失うように変わる」
「仮にそれが本当だとしたら、終わった後とか大変なんじゃないですか?」
「終わったら元に戻るのよ。だからみんなゲームの間は自分のなりたい理想の姿を目指して自分自身を変えるのよ」
「もしも本当だったら、すごいです」
「本当だって言っているのに……それから、ここからが少し重要かな。このルールだとみんなが好きな事をするだけでゲームとして面白くないってことなのか、ランダムで"フルーツバスケット"が入るわ。私も経験したことがあるけど、言うつもりがなくても勝手に口から出るの」
「はぁ」
「えっとね……フルーツバスケットって言われた後に鬼になると、それまで言われたことの中からランダムで鬼になった人が変えられちゃうの。しかも鬼になった回数分」
「はぁ」
「分からない?」
「えぇ、まぁ」
「やればすぐに分かるわよ、きっと。最期に、だれかが三回鬼になったらおしまいで、一度リセットされる。鬼になる条件はスタート時からカウントされるから、最初に鬼になった場合、それから普通に鬼になった場合、最後に該当者がいない事を言った場合の三パターンよ」
「まぁ、何となくは分かりましたけど、もしもそれが本当なら普通のフルーツバスケットと遊び方が違うんじゃないですか?」
「その通りよ。だから私も部長も今から楽しみなのよ――着いたわね」
「一応説明は終わったようだな」
「えぇ」
「それじゃ、入って準備をするぞ」
 部長は楽しげに言うと"多目的室"と書かれた教室のドアを開け、中に入っていくのだった。

 円陣を組んだ椅子に誠達高校生組と今日の一組目である初等部4年の希望者が席に座っていた。
 谷山や新谷は見るからに笑顔だし、小学生たちの顔も真剣そのものだった。円陣の中心にいる最初の鬼の子も何やら思案顔になっている。
「リボンをしている人!」
 少し間を開けたのちに少年の大きな声が室内に響く。数人の子供が立ちあがり席を変える。
「料理が得意な人!」
 次に鬼になった人が叫ぶ。新谷も立ち上がり席を変える――と思いきやそのまま中心に残る。
「眼が大きい人」
 数人が立ちあがり、席を移る。それからしばらくは入れ替わり立ち替わり鬼が変わっていた。
「エプロンドレスを着た髪の長い女の子!」
 誠はそんなものを着たがるのは部長の谷山くらいだろうと考え、彼を探した。
「……あれ?」
 ここで彼は初めて気がついた。
 円陣のどこを見ても、谷山と新谷の姿が見えない。誠の背中に冷たい物が流れた。
「フルーツバスケット!」
 鈴音のような綺麗な声に振り返ると、縁の中心から移動する"エプロンドレス姿"の少女の後ろ姿が見えた。
「……くそって、なんだよこの声!?」
 衝撃のあまり誠はスタートが遅れてしまった。この結果、誠は一人取り残され、初めての鬼を迎えた。
 円陣の中心には綺麗な髪の毛を腰まで伸ばし、エプロンドレスを身にまとった少女が驚いた顔で立っている。
「これ……さっき――まさか!?」
「早く言ってよ!」
 どうやら驚いている時間はないらしく、誠は高校生の人と叫んだ。数人が立ち上がると席を移動した。
「間違い、ないな」
 今、椅子の上に座っている人と鬼の人、そのすべてを合わせると高校生は"4人"いた。自分の今の姿の事もある。
「先輩の、言うとおりだったのか」
――フルーツバスケットと言われた後は、フルーツバスケットって言われた後に鬼になると、それまで言われたことの中からランダムで鬼になった人が変えられちゃうの。しかも鬼になった回数分――
 つまり、谷山が言った"エプロンドレスを着た髪の長い女の子!"という内容に変えられた……ということか。
「だとしたら、やばいな」
 性格まで変えられたら取り返しがつかない。
 ここだけは死守しないといけないと誠は決心するのだった。
「あなたもでしょ!」
「は、はい!」
 そんなことを考えている間に鬼が何かを言ったらしく、誠は隣の席に座っていた女の子声に反応して立ち上がった。そして気がついた。このフルーツバスケットのルールが特殊な事を――
「なにも、変化はしてないな?」
 自分の姿を見ても特に変化したところは見受けられない。性格も自覚している分には変わりない。まぁ、終われば元に戻ると新谷も言っていたのだから、今は楽しんだ方が勝ちだろう。今回はルールの把握につとめ、次回の5年生組では計画に楽しむことにしよう。
「小柄な人!」
 叫んでから背が小さい方がいいなんて人はいるのかと思ったが、意外に多くの人が立ち上がって移動した。
「家事が大好きな人!」
「読書が好きじゃない人!」
「運動神経が悪い人!」
「ドジな人!」
「手芸が得意な人!」
 などなど、なかなか三度目の鬼になる人が現れずゲームは進行した。
「フルーツバスケット!」
 一度目と同じミスはしない。
 誠はすぐに立ち上がると別の椅子を目指して走った。
「誠、そんなに走るとパンツが見えるぞ!」
「え、あぁ!?」
「ゲーム終了ですね」
 背後から大きな声が聞こえ誠は反射的に立ち止まってしまった。そしてそれが命取りになってしまった。
「楽しかったね」
「俺明日塾だよ」
「私は明日も来れる」
「みなさん、高校生のお兄さんとお姉さんにありがとうを言いましょう」
「ちょ、っちょっとまった!」
 みんなが和気あいあいと話している中、縁の中心に立っていた少女は大きな声を張り上げた。
「どうしたの、藤谷さん」
「俺、元に戻ってない!」
「何言っているのよ。元に戻ってるじゃん」
「そうそう。元のちびっこにもどってるよ」
「お、俺は高校一年の男子で、今日ボランティアで初めて来たんだぞ!」
「何言っているのよ。今日来た高校生は二人だけでしょ」
「――え?」
「藤谷さんは後でちょっと話すとして、皆さんせーので言うのよ。せーの」
「ありがとうございました」
 エプロンドレス姿の少女はあまりの状況の変化についていけなかった。
「せんせー。真琴ちゃんがトイレに行きたいみたいです!」
「それで、変な事を言っていたとも思えないけど」
「私が後で注意しときます」
「それならいいけど……それじゃ、皆さん次は五年生の番なので廊下に出てくださいね」
「はーい」
 部屋の中に元気な声がこだました。
「いこ、真琴ちゃん」
「う、うん」
 教室の中でもひときわ大きな女子が真琴の手を握ると、トイレに向かって駆けだした。

「これが……おれなのか?」
 鏡に映るのは見慣れた自分の姿ではなかった。
 下手をすれば小学校低学年に見える程小柄な体に大きく見開かれた可愛らしい瞳。腰まで伸びた髪の毛は綺麗に整えられ赤く大きなリボンが髪を結っている。極めつけにあの可愛らしい衣装を小さな体にまとっている。

 真琴には、このどれもに心当たりがあった。
「二つ目は分からないとしても……この服とこの髪は最初の奴だろ。この眼とリボンは……だれかが言っていた気がする」
 二つほど内容が不明だが、間違いなくあのゲームで変身した姿だろう。
 新谷はただリセットと言っただけだった。いや、もしかしたら新谷自身も知らなかったのかもしれないがリセットとはつまり……最後に鬼になった人以外は元に戻り、三度鬼になってゲームを終わらせた人は罰ゲームとしてその姿として不自然がないように周囲が変わる……ということなのか?
「真琴ちゃん。何一人でブツブツ言っているのよ。さっきといい、ちょっと変よ?」
「そ、そりゃ――そうかな?」
 まだ言い募ろうと考えたが、やめた。ゲームは明日もあるはずだ。一日我慢して明日再チャレンジした方がいい。だって、下手に騒いで病院にでも送られたら次にいつゲームができるか分かったものじゃないだろ。
「そうよ。まぁ、私はお姉ちゃんが来たから今日はあまり楽しめなかったけど」
「お姉ちゃん?」
「言ってなかったっけ? 今日来た高校生の女の方は私のお姉ちゃんなの」
 つまり、目の前の大きな小学生は……新谷先輩の妹ということか。
「そうなんだ。えっと……新谷さん」
「どうしたのよ、他人行儀ね。いつもみたいに翡翠ちゃんってよんでよ」
「えっと――ひすいちゃん」
「なに?」
 真琴は顔を赤くしながら少女の名前を呼んだ。女子を下の名前で呼ぶなど彼女にとって初めての経験だった。
「明日も、できるんだよね?」
「私は出るけど、真琴ちゃんも出るの?」
「あ。うん」
「なら問題ないじゃん。それよりも、そろそろ帰ろ」
「う、うん」
 翡翠は真琴の手を握ると、二人は足並みを揃えてトイレを後にした。
 そしてそのまま、他愛のない会話をしながら帰路に着くのだった。

「でけー」
 真琴は翡翠が真琴の家だと言う家の前で唖然としていた。
 この町の住人ではないはずの自分に家と家族があるとのことなのだ。真琴にとっては当たり前のことでも誠にとっては驚きの事実である。
「真琴、家の前で何をしているの?」
 突然後ろから声がした。
 彼女は後ろを向くと、車に乗った女の人が不思議そうな顔でこちらを見ていた。
「えっと、かー……マ、ママ?」
「そうだけど……どうしたの? 調子が悪いの?」
「そ、そんなことない」
「ならいいけど――これから晩御飯の買い物に行くけど、一緒に来るっていうより、一緒に来て」
「わ、分かりました――ランドセルを置いてきます」
「変な子ねぇ」
 おそらく、他人行儀になってしまったことを言っているのだろうが、仕方のないことである。
 真琴にとっては家族でも、誠にとっては初対面の人なのだ。
 真琴は内心のドキドキをごまかしながら、ランドセルを玄関に置くと母親だと言う女の車に駆けこんだ。
「今日の学校はどうだった?」
「え、えっと……」
 学校の内容を聞かれても困る。
 放課後までは高校生として過ごしていたのだ。小学生としての生活の記憶などあるはずがない。
「放課後、フルーツバスケットして帰った、かな」
 だから、こんなことしか言うことができない。
「あー……パンフレットに載っていたあれね。どんな姿になったの?」
「えっと……高校生の男の人かな」
「どんな男の子になったの?」
「えっと……丸刈りで、背が高くて――そんな感じ?」
 元の自分の事を話そうと思ったが、真琴は意外に自分自身の事を知らなかったことを初めて気がついた。
「へー……変わった姿になったのね」
「う、うん」
 そんな少女の気も知らず、彼女は娘に学校での出来事を聞いた。
 真琴はフルーツバスケットの事をだけど頑張って話し続け、どうにかスーパーにたどり着くのだった。

「こんにちは、琴音さん」
「あ、新谷さん」
 車から降り、入り口から中に入ると後ろから誰かが話しかけてきた。
「翡翠、ちゃん?」
「少しぶり」
 つられて後ろを振り返ると、先ほどわかれたばかりの新谷翡翠とその母親と思われる女性が連れだってこちらに歩いて来ていた。
「真琴ちゃん。先に晩御飯の買い物済ませておいてくれる?」
「何を買えばいいノ?」
「今日を作る奴を買えばいいよ。今日の当番は真琴ちゃんでしょ」
「そ、そうだったワネ」
 真琴はぎこちない女言葉を話しながらも、心の中では困ったことになったと考えていた。
 実家にいた頃から家事なんかしたことがないし、今も寮で食事が出ている。強いて挙げれば調理実習でカレーを作ったことがあるくらいだが、正直ほとんど手伝っていない。
「ママー、私も先にお菓子選びに行ってていい?」
「いいわよ」
「真琴ちゃん、またね」
「う、うん」
 元気に走り去っていく翡翠の背中を見送ると、真琴は野菜コーナーへと足を進めた。
「だいたい、野菜なんてどれもいっしょ……って、そんなわけないよな?」
 おかしい。
 キャベツとレタスを間違えて笑われたこともあるというのに、すべての野菜の名前が分かる。しかも、目に入るすべての野菜の使い方も頭に浮かぶ。
「あ、お肉が安い」
 眺め見ながら通路を進むと、肉の特売の紙があった。特売だから安いと言うのではなく、なぜか普段の値段と区別して安いと言うことが分かる。
「……もしかして――」
 フルーツバスケットの時に"家事が大好きな人"ってあった気がする。家事の面でこれほど当てにされていると言うことは……
「分かっている物の一つは、これか」
 真琴は溜息をつくと、肉のパックをいくつかカゴに入れた。
 とにかく、これで分からないのはあと一つだけだ。
「冷しゃぶでも作るか」
 真琴は色々なコーナーを回って必要な材料をカゴに入れた。琴音を待とうとレジに向かった。
「真琴ちゃん、遅いわよ!」
 しかし、レジの前にはすでに琴音が立っていた。真琴は溜息をつくと彼女のもとに向かいカゴを渡すのだった。

 食事を終えると、真琴は自室を探した。
「あった」
 "まことのへや"と可愛らしく書かれたドアプレートがあり、意外なほど簡単に見つけられた。
「入って、いいんだよな」
 誠は女の子の部屋などは言ったことがなかった。仮にここが自分の部屋だとしても自分にはその記憶がないのだ。買い物や料理の時のように自然と記憶が浮かぶということもない。
「入るか」
 真琴は大きく深呼吸をすると、ドアノブを握った。そのまま手を下にしてドアを開けると、ゆっくりと扉を押した。
「ここが、俺の部屋か」
 白く清楚な感じのする壁紙にお洒落なレースの薄い水色のカーテン。パステルカラーの可愛らしいベッドカバーと布団。そしてドレッサーに掛けられた色とりどりの可愛らしい服の数々。
「うわぁ……すげ」
 床には可愛らしいクッションや人形が置かれ、本棚には料理や手芸の雑誌、本が置かれている。
「あれは……あぁ――なるほど」
 部屋の隅に見慣れない物があったが、すぐにそれが何なのか頭によぎった。
「本棚の洋裁やら和裁やら編みぐるみの本と置かれたミシンから推測すると、最後の一つは……"手芸が得意な人"か」
 真琴はベッドに腰かけると、そのまま後ろに倒れた。白井天井と丸い電気を見ながら、右手をあげる。
「小さいな」
 見慣れている自分のそれよりもはるかに小さく、頼りない。
「本当に、女の子なんだよな」
 聞こえる声も目に見える体も、肌に触れる感触もそのすべてが慣れ親しんだ物ではなく幼い少女のものだと分かる。
「ひとまず、3度鬼になったらフルーツバスケットで変身したまま固定されるから……三度しか変身できないのか?――いや。たしか変身する条件は」
 該当する人がいない場合。
 該当しないのに立つと、該当するように変わる――つまり、変わりたい内容をだれかが言うと、立てば変わる。
 該当するのに立たないと、該当しないように変わる――つまり、"女の子"と言われて立たなければ男になる。要するにこういうことだろう。
 フルーツバスケットと言われた後に立つと、鬼になった回数分だけランダムで変わる。
「厄介なのは、フルーツバスケットだよな」
 どう考えてもフルーツバスケットさえなければ自分の姿や性格を自由にいじれる。
――ゲームの間は自分のなりたい理想の姿を目指して自分自身を変えるのよ。
「先輩の言っていた意味が、よく分かるよ。本当に。そう言えば、なんであんなことを……」
――終わったら元に戻るのよ。
「ま、先輩が三度鬼になったことがないだけか。しっかりした人だし」
「まことちゃん、お風呂入っちゃいなさい!」
「は、はい!」
 真琴は大きな声で返事をすると、起き上って布団に腰かけた。
「風呂か……女の体って言ってもこれじゃあな」
 容姿は可愛らしいと言っても所詮は小学生だ。可愛いとは思っても、罪悪感と羞恥心は感じこそすれ、邪なものは湧いてこない。
「ま、誰かに見られるわけでもなし、今日限りとはいえ自分の体なんだ。堂々と入ろう。うん」
 真琴はドレッサー近くの引き出しを捜索すると、可愛らしいパンツとパジャマを手に持って風呂場を探すのだった。


「はぁ……一日とはいえ女子として小学校に通うのか。
 真琴は視線を背負っている赤いランドセルに移した。
「しかもよりにもよって……はぁ」
 おまけに、今日は体育があるらしく、しかも夏の体育だ。だから――
「男の俺が、女子の水着を着るなんて……気が重い」
 ランドセルには可愛らしい水泳バックが引っ掛かっている。仮病というのも一瞬考えたが、戻るのが一日遅くなってしまう。もうすぐテストだと言うことを考えると、一日遅れるのはなんだか命取りな気がした。
「真琴ちゃん、おはよ!」
 背中から元気の良い声が聞こえた。振り返ってみると相変わらず小学生徒は思えない程大きな少女が笑顔で走り寄って来ていた。
「お、おはよう」
「どうしたの、元気がないよ」
「え、えっと、そうかな?」
「うーん……あっ、今日プールだからか」
「そ、そうなんだ」
「真琴ちゃん泳げないもんね。大丈夫、私が教えてあげるから」
「あ、ありがとう」
 真琴は泳ぐこと自体は得意だし、むしろ好きな方だった。しかし、今はそうした方がいいと思い、適当に話を合わせた。
「だけど、そのあとの調理実習じゃ大活躍でしょ? 私なんて料理全くできないのに」
「ぉ……私が教えるよ」
「やった」
 翡翠が笑ったので、真琴もつられて笑った。
「すきあり!」
 背後からそんな声が聞こえるのと同時に、足元から何とも言えない解放感が襲いかかってきた。
「志信!」
「油断する方が悪いんだよ!」
「え、えっと……!?」
 一拍置いて、真琴は自分が何をされたのかを理解した。
「ス、ス、ス……」
「真琴ちゃん、落ち着ついて」
 真琴は顔を真っ赤にしながら口をパクパクさせていた。
「ス、スカートめくられた」
「だ、大丈夫だからね……そ、そうだ。今日のフルーツバスケットであいつに仕返ししよう」
「え?」
「私に全部任せておいてね。そろそろあの馬鹿にも女子の気持ちを味あわせないと気が済まないし――それじゃ、先に行くね!」
「え、ちょっと――」
 まだ気持ちが落ち着いていない真琴を残して、翡翠は元気に走り去っていった。
「お、おいて行かないでくれよ」
 真琴はスカートを気にしながら全力で走った。
 結局、真琴が学校に着いたのは、翡翠が学校に着いてから15分も後の、ホームルーム開始直前の頃だった。

「真琴ちゃん、またあいつにめくられたんだって?」
「う、うん」
 一時間目の国語が終わると、翡翠と見慣れない女子が数人席に来た。
「あいつ、真琴ちゃんのばかりめくるよね」
「そうそう。真琴もズボンにすればいいのに」
「だけど、嫌いなんだよね、ズボン。体育の短パンすら嫌がってるくらいだし」
「ま、まぁ」
 放課後までの我慢だ。とにかく話を合わせることだけを考えろ。
 真琴は自分に言い聞かせながら、笑顔で彼女らに応答していた。
「それでさ、私考えたんだけど、志信の奴女子にしてみない?」
「それ、いいね」
「だけど、どうするの?」
「それに、ただ女子にするだけじゃ面白くないし、真琴の仕返しにもならないじゃん」
 なんだか周りでは、今朝の馬鹿餓鬼をどんな女子にするかという会議が勃発していた。
「みんな、席に着け!」
「ちぇ――3時間目はプールだし、昼休みまでに各自どんな女の子にするか考えとくように」
「わかった」
 先生が入ってくるのとほぼ同時にチャイムが鳴り、彼女らは早口でそうやり取りすると、自分の席に戻っていった。
「まぁ、俺が三度目の鬼になるんだ。ゲーム中はどんな姿にしてもいいよな?」
 女の子用の下着を身につけて、こんな服を着ているだけでも死ぬほど恥ずかしいのに、男子にパンツをめくられたのだ。たとえ一時でもその気持ちをあの餓鬼にも味あわせたい。
「さて、志信とかいう奴をどんな女の子にしようかな」
 黒板では先生が算数の授業を進めている。真琴にとって、先生の言う内容など当たり前すぎて簡単な事だった。
 だから彼女は、チャイムが鳴るまでの時間を志信をどんな女子にするかを考える事に費やすことができたのであった。

「真琴、何してるの?」
「な、なんでもないワヨ」
「ならいいけど……早く入ろ」
 2時間目が終わった後、真琴は翡翠達と一緒に教室を出てプールに向かった。
 今の誠は正真正銘の女子である。風呂でも確認したことだし、周りの接し方もそうなっている。それでも、真琴の心は男なのだ。中にいるのが初等部だと分かっていても、女子更衣室に入ることには抵抗がある。
「早く入らないと、間に合わないよ?」
「う、うん。分かった」
 真琴はぎこちなく頷くと翡翠の後ろに続いて中に入った。
「遅かったね」
「何かあったの?」
「ううん。ちょっと入り口で話していただけ」
 一時間目の休み時間に話した女子たちが話しかけてくる。彼女らは既に水着に着替え終えており、水泳帽をかぶろうとしているところだった。
「それでさ、さっきの話の続きだけど、みんな何か考えたの?」
「私はスカート履かせてだれかがめくればいいって程度しか考えてない」
「私も」
 翡翠は服を脱ぎながら会話に加わる。
 真琴は視線を彼女からそらすと、大きく深呼吸をして服に手をかけた。
 エプロンドレスのエプロンを取ると服を頭から脱ぐ。続いて水泳鞄から紺色のスクール水着を取り出すと大きく深呼吸をする。
 足を通し肩まで水着を持ち上げる。初めての事だからとゆっくり丁寧に着替え、水泳帽を鞄から取り出す。
「真琴ちゃんは何か考えたの?」
「え、お……私は――」
「ねーねー。そろそろいかないとやばくない?」
 行為室内の時計を見ると、授業開始まであと少しだった。
「続きは、自由時間にしよう」
「そうだね」
「みんな、早く行こ」
 彼女らはわいわい言いながら更衣室からプールサイドに続くドアをえと足を進めるのだった。

 プールサイドに水着姿の小学生たちが整列していた。
「よし、全員いるな。それじゃ、体操から。屈伸!」
 先生の合図に合せて全員が一斉に屈伸、伸脚と体操をする。
「うぅ……恥ずかしい」
 真琴はだれにも聞き取れないくらいの小声で泣き事を言っていた。
「藤谷、ちゃんとしろ!」
「は、はい」
 先生に注意され、真琴は顔を赤くしながらしっかりとした。
 赤面したのは注意されて恥ずかしかったからだけではない。スクール水着を着ていると嫌でも自分が少女の体だということを自覚させられてしまう。それがとても嫌で、恥ずかしくて、大きく体を動かすとそれがより実感させられて嫌でたまらなかった。
「それじゃ、順番にシャワーに入れ!」
 体操を終えると次はシャワーだ。シャワーはものすごく強烈でまとめた長い髪が水を含み、重たくなる。おまけに、入るときに周りの女子たちに囲まれ、自分がどれほど小柄になったのかをより実感させられる。
「シャワーから出たらペアーを組んですわれ!」
「真琴ちゃん、一緒に組もう!」
「う、うん」
 シャワーから出ると翡翠が真琴に元気よく話しかけた。その胸は小学四年生だと言うのに大きく膨らんでいる。もしかしたら、姉の子瑠璃よりも大きいかもしれない。
「よかった」
 それを見た真琴は安堵の声を洩らした。
「なにが?」
 それを聞いた翡翠は不思議そうな顔で聞き返した。真琴はばつの悪そうな顔になると視線をずらし、お茶を濁した。
「い、いや、その……」
 そこだけは小さいままでよかった――と思う反面、何だか悔しい気がする。
 そんな複雑な心境を言葉にすることができず、真琴はプールを眺めた。
 プールは初等部は単独で使い、中等部と高等部は共同のものを持っている。だから、このプールを見るのは初めてだ。
「どうしたの?」
「な、なんでもないワヨ」
 中等部以上が使うプールは屋内プールで、見たことはないが噂で聞く限りかなり豪華らしい。それだと言うのにこのプールは屋外にあって、設備も通っていた公立校のプールとほとんど同じだった。
 真琴は懐かしいような、こんなに立派な学校なのにどうしてこんなにショボイのかと不思議なような、変な気持でプールを眺めていた。
「前列に座っている人から順番に水に入れ」
 先生の声が聞こえ、真琴を含めた前列組がプールの縁により近く座る。それから足から順番に体に水を当て、最後に胸に水をあてるとゆっくりと水に入る。
「ぎ、ぎりぎりだ……」
 プールに入ると、真琴の顔がぎりぎり水の外に出るくらいだった。
「入ったら、真中に行け」
 先生の声が響き、歓声をあげながら皆中心に向かう。周りはみな泳ぎながら向かい、真琴もそれに習おうとプールサイドから手を離して水の中にもぐった。
「真琴ちゃん!」
「藤谷!」
 顔を水の中に入れた瞬間、体が硬直して動かなくなった。
――真琴ちゃん、泳げないもんね。
 今朝の翡翠の言葉が頭によぎった。
「大丈夫か?」
 真琴は担任の先生に抱えあげられ、小さく頷いた。
「だれか、保健室に連れて行ってくれ」
「私が行きます」
 翡翠が元気よく答えると、真琴は先生の両腕から翡翠の背中へと居場所を移した。
「ごめんね。去年はあそこまではできていたから大丈夫だと思いこんでたんだ」
 小さな、それでいてものすごく感情のこもった謝罪を聞きながら、真琴は翡翠の背に力なく背負われるのだった。

「ここは……」
「保健室よ。気分はどう?」
「じ、時間は!?」
「4時間目の途中よ。水が苦手ってこともあるけど、疲れていたみたいね」
「は、はぁ」
 どうやら、自分がおぼれてしまったらしい真琴が気付くのに少し時間がかかった。
「はぁ……」
「もうすぐ授業も終わるから、4時間目が終わるまで休んでなさい」
「はい」
 保健室の先生にそう言われ、真琴はベッドに横になった。
「まさか、この俺がおぼれるなんてな……」
 布団にもぐると、真琴は悔しくて泣きそうになっていた。
 中学時代の水泳大会ではリレーの選手に選ばれたくらいクラスでも泳ぎは達者な方だったと言うのに、水にもぐっただけでこの体たらくなのだ。
「くそ……」
 悔しい。だけどそれ以上にむかついたのはまたしてもあの糞餓鬼だ。
 翡翠の背に追われたところまではなんとなく覚えている。そのとき、視界の端に映ったあいつは楽しそうにこちらを見ながら笑っていた。
「許さない。許さないぞ」
 真琴のこれはフルーツバスケットとは関係ない、あるいは直接ではなく何かの要素がこれにかかわったのかもしれない。いずれにしても、本来の自分のせいではないのだ。
「戻るのは、明日でいいや。明日で。今日はあいつに同じ思いを味あわせることだけに集中しよう」
 そうだ。今日は志信とかいう男子を女子にすることに専念して、自分は明日元に戻ろう。半日過ごして今の自分がどういう人間だと思われているかはだいたい分かった。
「そうすると……女子にするのは大前提にするとして、どうするかな」
 さっきまでのようにできたらいいなぁ、程度ではだめだ。絶対に変えてやる。それも今の自分とものすごく乖離するような女の子に変えてやる。
 だが、すぐに真琴は自分が志信のことをあまり知らない事に気がついた。あまり知らない奴を心から恥ずかしくて、嫌で仕方がないようにするのは難しすぎる。
「となると、変身させる方法を考えるか」
 三度目の鬼にさせる方法は簡単だ。要は自分がやられたのと同じ方法を少々趣を変えてやればいいだけだ。
 最後の最後にスカートをめくる。この作業は自分でしたいところではあるが、この体の運動神経では難しい。
「新谷先輩の妹さんが適任だろうな」
 翡翠は見るからに運動神経がよさそうだから適任だろう。自分もめくられたから分かるがあれはかなり恥ずかしい。間違いなくショックで鬼が確定するだろう。
「変身させる方法は、適任者がいないの言わせるのは無理だよな」
 参加者全員がグルなわけではないのだ。そうなるとこの条件は無理だ。
「そうなると、やっぱり……フルーツバスケットが鬼門だな」
 仲間の誰かが鬼になったときに"〜な女の子"って感じに変身させたいときは女の子と語尾に付けて叫んでもらい、隣に上手に腰掛けた仲間が立たせればいい。そうすれば自由に変えられる。だけど、フルーツバスケットで別の姿になられると計画が崩れてしまう。
「まぁ……俺の例もあるし、どうにかなるか」
 真琴は自嘲気味に自分の体を見ると寝返りを打った。
 この体で過ごす期間が一日伸びてしまうが、嫌いな奴を望まない姿に立場もろとも変えてしまうと言うのは何とも心地いい。
 真琴はより細かく計画を練りながら、チャイムが鳴るまでベッドに横になるのだった。


「みんな、やることは分かってるよね?」
 放課後、多目的室の一角で真琴たちは計画の確認をした。
「志信が2回鬼になったら、私はチャンスがあったらすぐにスカートをめくるから、みんな自分のやるべきことをしてね」
 翡翠の声に皆がうなづく。
「おい、早く来いよ!」
「分かってるわよ、うるさいわね!」
 自分の身にこれから起こることも知らずに、志信は真琴たちを呼んだ。
「今日の鬼はだれからだ?」
「あ、私だ」
 そう言うと翡翠は円陣の中心に立ち、真琴たちは椅子に座る。志信の隣には仲間の一人が座っていた。
「スカートを履いている人!」
 翡翠がそう叫ぶのと同時に、真琴は息をのんだ。
「志信、何立ってんだよ!」
「可愛いぞー!」
「……男の子がこういうときに立つとああなるんだ」
 翡翠の目の前には赤いフレアスカートをはき、薄いピンク色の可愛らしいシャツを着た一見すると女の子のように見える子が立っていた。
「よ、よかった……あった……」
「志信、そこどいてくれない?」
「あ、はい」
 どうやら、あの少女に見える子どもは少年で、やはり志信らしい。
「これで一度目、と」
 本来ならば既に女の子になっているはずなのだが、結果的には新しい情報が手に入ったのでよかったと言える。
「それにしても……やっぱり直接言ったことだけじゃなくて、うまいこと調合性が取れるように微調整されるんだな」
 その状態が違和感のない姿に、思考に、体質に。気付かないだけで性格も変わっているのかもしれない。
「す、スカートをはいていない人!」
 おそらく元に戻ろうと思っていそう言ったのだろうが、多くの男子とスカートをはいていない女子が立ちあがり移動した。
 次の鬼は仲間の一人だった。そして信生は真琴の隣に座っていた。
「髪の毛を三つ編みにしている女の子!」
「うわぁ!」
 鬼が叫ぶのと同時に、真琴は志信の脇を思いっきり触った。驚いたのか、それとも弱点だったのか、志信は奇声をあげると立ち上がった。その時にはすでに、短かった髪の毛は腰まで伸び、大きな三つ編みでまとめられていた。
「志信ちゃーん、このままじゃ早く終わっちゃうわよー!」
「うるせー!」
 男子がわざとらしい声でおちょくると、志信は可愛らしい声で怒鳴り返した。
 どうやら自分でも声質の変化に気がついたようで、志信は赤面した。そのまま眼をつむった。
「う、運動が全くできない男子!」
 どうやらこのゲームの本質――なりたいと思った物に立つと言うことは理解しているようで、志信はそんなことを言った。
 だけど、それはよろしくない。志信は既に2度鬼になっているのだ――いや、もしかしたら早く終わらせたくてわざと三度目を確定させようとしたのかもしれない。もっともそうはさせないが。
「な、なんで立つんだよ!」
「立ったらだめってルールがあるノ?」
 真琴は円陣の中心に立つと椅子に座っている面々を見渡した。志信の隣には仲間は座っていない。しかし既に志信は――
「フルーツバスケット!」
 思考している途中に、口が勝手にそう叫んだ。そういえば、先輩がそんなことも言っていた気がする。
 真琴は適当な席に座ると、円陣の中心を見た。そこにはスカートと大人びたキャミソールを着た見覚えのない女の子が立っていた。
「は、恥ずかしがりやな人!」
 やはりと言うべきか、志信が立ちあがった。思った通りゲームを早く終わらせるつもりらしい。
「キャっ!」
 突然、志信が可愛らしい悲鳴をあげて、スカートの裾を両手で押さえた。
「ごめん、しのぶ」
 すれ違いざまに翡翠が志信のスカートをめくったらしい。
「お、お前、ななな、ないを!」
「いつも真琴にしてたことでしょ。これで少しは気持ちが分かった?」
「あ、あぁ」
「それじゃ、もうするなよ。もしもしたら、今度はその程度じゃ済まないから」
「ちょっとまて、それじゃ……」
「今回、あんたを立たせるためにみんなで協力してたの。気づかないなんて鈍いわね」
「くそったれが!」
「そんなこと言って良いの? 次も女の子に変えて……今度は下着まで指定しちゃおうか?」
「……」
「分かればいいの。それじゃ、元に戻してあげるね」
 翡翠はそう言うと、ゆっくりと席に座った。
「ゲーム終了、お疲れ様でした。次のクラスが待っているので、廊下に出てください」
 翡翠が席に座るのと同時に、先生の声が室内に響いた。
「忍ちゃん、ごめんね」
「え?」
 席から立ち上がると、翡翠は忍に歩み寄って頭を下げた。
「さっきのは本当に偶然当たっただけなの。だからごめんなさい」
「新谷、何言って……」
 忍は何か言おうとしたが、突然顔を赤くするとそのままモジモジしだした。
「翡翠ちゃん、忍ちゃん。早く帰ろうよ!」
「あ、真琴ちゃんごめん」
「今日は私の作った新しい服を試着するって約束でしょ!」
「ごめんって、忍ちゃん、早く行こ。じゃないと真琴が怒っちゃうよ?」
 忍は翡翠の服の裾をつかむと顔を横に振って口をパクパクし出した。
「大丈夫だって。怒っても真琴ちゃんがあんたのこと嫌いになるわけないじゃない。だけどほら、あんなに顔を膨らませてるし、早く行こう」
 忍はさらに強く首を振った。その眼には涙がにじんでいた。
 しかし翡翠はそんなことなど気にしないで、力強く彼女の手を握ると真琴のところに向かって足り出すのだった。
「それで、明日はでるの?」
「ごめん、私は明日塾なんだ。忍ちゃんは?」
「……出る。絶対に出る」
「じゃ、明日は二人で頑張ろうね」
 三人は仲良く手を握ると一緒に帰路に着くのだった。

 ゲームが終わると、最後に鬼になった人"だけ"が変身した後のまま、世界に適合される。
 ゲームは一回ごとに違う。だから、毎回最後に鬼にならない限り、皆忘れてしまうのだ。
――最後に鬼になってゲームを終わらせてしまうと、どのような罰ゲームが待っているかということを……

終わり。
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